タヒチの歴史・文明 18
今日は長崎に原爆が投下されてから69回目の8月9日。
長崎平和公園では、今年も平和祈念式典が行われています。
この式典では毎年、長崎市長の平和宣言が行われていたり、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けられていて、その様子は世界各国に送られています。
今日は、核兵器とタヒチの関係について少しお話ししたいと思います。
1880年にフランスの植民地となったタヒチは、フランス領ポリネシアの経済を支える重要な産業地となりました。
その後フランスが核実験をムルロア環礁で行うと発表し、太平洋実験センターが誕生しました。
それから核実験は開始されたものの、フランスは世界各国から非難され、1981年になって実験は地下で行われるようになったと言われています。
1995年、一度終了した核実験を再びシラク大統領は地下核実験を新たに実施すると発表しました。
それに対し、世界中の反核運動で抗議や非難の声が上がり、タヒチ島の首都パペーテでも抗議集会など、これまでにない大規模な暴動に発展したそうです。
実験は1996年1月まで行われましたが、核実験反対運動が世界中で起こり避難を受け、フランス政府が核実験の終了を宣言して終了しました。
世界中の幸せを願って、長崎原爆投下の11時2分の黙祷をしました。
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