2014年03月05日
タヒチの歴史・文明 7
バウンティ号の反乱後から、地域全体には商人や流れ者なども立ち寄るようになり、武器や売春、島民に免疫のない伝染病などにより人口は激減しました。
そして19世紀に入って、キリスト教宣教師たちが彼らの規律に反する官能的なダンスを禁じるようになりました。
それ以降、約60年近くにわたって、公でタヒチアンダンスを踊ることは制限される時代が続きました。
そんな中でも、タヒチの人々は密かにダンスの伝統を守り続けていたそうです。
3月5日 イギリス宣教師団上陸記念日
タヒチにキリスト教が伝わった日を記念した祝日です。
タヒチ島ビーナス岬にあるプロテスタント上陸記念碑の周辺で式典が行なわれるほか、プロテスタント教会でイベントが開催されます。
南の島らしく、地元の人々は家族や友人を集めてバーベキューパーティを開催したり、お気に入りのビーチで海水浴を楽しんだりと、のんびりとした休日を楽しみます。
Posted by NOANOA 長崎校 at 13:44│Comments(0)
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