2014年06月07日
タヒチの歴史・文明 14
19世紀頃、フランスの宣教師団がタヒチへ入島し、官能的なタヒチアンダンスや土着の宗教、キリスト教の教えにそぐわない事柄すべてに対し禁止し、神殿のマラエを破壊しました。
プライドを奪われていったタヒチの人々は、次々とキリスト教化されていき伝統的なポリネシア文化は急激に衰退していきました。
同じくらいの時期に「トゥ」と呼ばれるポリネシア人は、タヒチ島を中心とした全島征服を開始し、1797年にポマレ王朝を打ち立て島々の大半を支配するようになりました。
代々に渡り、支配下の多くの島を統合するために奮闘していたポマレ4世もフランスの圧力に屈し、1842年にタヒチ、モーレア両島をフランスの保護領とする条約を強制され署名をしてしまいました。
そして1880年、ポマレ5世はフランスに主権を譲渡し、タヒチはフランスのオセアニアにおける初めての植民地となりました。