2016年10月04日

タヒチのお花

南の島タヒチには色とりどりのお花がたくさん咲いています

少しずつですがご紹介していきます


まずはタヒチの国花であるティアレ タヒチ《TIARE TAHITI(ティアレ タヒチ)》

普通は6-7枚の花びらですが、8枚の花びらのティアレは幸運が訪れると言われています


南国といえばハイビスカス《'AUTE(アウテ)》

朝早くから咲き始めて手のひらくらいの大きさまで開いてくれます
種類もたくさんあり華やかです


甘い香りのプルメリア《TIPANIE(ティパニエ)》

我が家は今年は咲きませんでしたが、咲き始めると次々に花芽をつけてくれる元気なお花です
花言葉は「気品」「美」「日だまり」だそうです


鮮やかな色のジンジャー《'OPUHI(オプヒ)》

ジンジャーと言えば日本では生姜のイメージですが、お花は鮮やかな色で種類も豊富
赤・白・黄色・シェル(貝殻)のような形の花びらのものもあります



ダンスの衣装に欠かせないティリーフ《'AUTI(アウティ)》



こちらも衣装によく使われるシダ《METUAPUA'A(メトゥアプアア)》




タヒチの女性はメイクしたり香水をつけるのと同じようにティアレ(お花)を耳に飾ります
ダンサーも自然の物を使って色とりどりの衣装を作っています

こんなにたくさんのお花に囲まれていい香りに包まれると幸せな気分になれそうです❤️  

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2015年04月04日

タヒチ語【あいさつ】

タヒチアンダンスの曲でよく出てくるあいさつをいくつか紹介します♪

Ia Orana!(イアオラナ)…おはよう/こんにちは/こんばんは/はじめまして
どの時間帯も使える便利な挨拶です♪

Mauruuru (マゥルルー)…ありがとう

Aita pe'ape'a (アイタペアペア)
気楽にいこう/問題ないさ♪
現地の方々のダイスキなコトバです♪よく使われます。

Nana (ナナ)
さようなら


曲を聞く時に知っている言葉が出てくると嬉しくなりますね((* ´艸`))


  

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2014年12月26日

タヒチ語【月】

クリスマスも終わり、大掃除や年賀状など新年を迎える準備に追われている頃ではないでしょうか??

そんな中、新しいカレンダーや手帳などを準備された方も多いかと思います。

今日は、タヒチ語で1年の月をご紹介♪

Tenuare(テヌアレ)…1月
Fepuare(フェプアレ)…2月
Mati(マティ)…3月
Eperera(エペレラ)…4月
Me(メー)…5月
Tiunu(ティウヌ)…6月
Tiurai(ティウライ)…7月
Atete(アテテ)…8月
Tetepa(テテパ)…9月
Atopa(アトパ)…10月
Novema(ノヴェマ)…11月
Titema(ティテマ)…12月

なんだか英語の呼び方と似ている月もありますね((* ´艸`))
私も新しいカレンダーに、ちょっと書き込んでみようと思っています(笑)


  

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2014年12月17日

タヒチ語【家族】

12月になると、帰省したり旅行したりと、年末年始をご家族で過ごす方も多いかと思うます。

今日はタヒチ語で家族についてご紹介したいと思います。



feti'i(フェティッイ)…家族
metua tane (メツア ターネ)/papa(パパ)…父
metua vahine(メツア ヴァヒネ)/mana(ママ)…母
tamari'i(タマリィ)…子ども
tamaroa(タマロア)…少年
tamahine(タマヒネ)…少女
pepe(ペペ)…赤ちゃん

みなさん、ご家族で楽しい年末年始をお迎え下さいね❤️  

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2014年12月06日

タヒチ語【色】

今日はタヒチ語の色彩についてご紹介。



huru(フル)…色
uteute(ウテウテ)…赤色
ninamu(二ナム)…青色
matie(マティエ)…緑色
re'are'a(レッアレッア)…黄色
'uo'uo(ウオッウオ)…白色
'ere'ere(エレッエレ)…黒色

私達が踊っている曲にmaito 'ere 'ere(マイト エレエレ)というアパリマがあります。
この曲は黒いmaito(魚)を釣るという歌詞になっています。



  

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2014年08月09日

タヒチの歴史・文明 18

今日は長崎に原爆が投下されてから69回目の8月9日。

長崎平和公園では、今年も平和祈念式典が行われています。
この式典では毎年、長崎市長の平和宣言が行われていたり、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けられていて、その様子は世界各国に送られています。

今日は、核兵器とタヒチの関係について少しお話ししたいと思います。

1880年にフランスの植民地となったタヒチは、フランス領ポリネシアの経済を支える重要な産業地となりました。

その後フランスが核実験をムルロア環礁で行うと発表し、太平洋実験センターが誕生しました。



それから核実験は開始されたものの、フランスは世界各国から非難され、1981年になって実験は地下で行われるようになったと言われています。

1995年、一度終了した核実験を再びシラク大統領は地下核実験を新たに実施すると発表しました。

それに対し、世界中の反核運動で抗議や非難の声が上がり、タヒチ島の首都パペーテでも抗議集会など、これまでにない大規模な暴動に発展したそうです。

実験は1996年1月まで行われましたが、核実験反対運動が世界中で起こり避難を受け、フランス政府が核実験の終了を宣言して終了しました。


世界中の幸せを願って、長崎原爆投下の11時2分の黙祷をしました。
  

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2014年07月29日

タヒチの歴史・文明 17

タトゥー



タヒチでは古来より、成人の儀式として入れ墨を入れる習慣がありました。

強さや勇気を示したり、病気や不幸から守ったり、美しさの象徴や社会的身分を示すものとされ、そのモチーフは、出身地や家系に基づいて、幾何学模様や動物、ティキなどの形が施されていました。



男性が全身に入れ墨を施す習慣があったマルケサス諸島では、入れ墨文化は色濃く残っており、現在の多くのモチーフにその形が受け継がれています。
今では、多くの人が自らのアイデンティティの象徴として入れ墨を入れています。

  

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2014年07月05日

タヒチの歴史・文明 16

キリスト教が普及し、宣教師達が官能的なダンスを禁止して60年もの間、タヒチアンダンスを踊ることは制限されていました。

そんな中、密かにタヒチアンダンスの伝統を守ってきたタヒチの人々。
1950年代には、ヘイヴァというダンスグループを結成し、公にダンスを披露する場が増えてきました。

その後、ヘイヴァ出身のダンサーが「イアオラナ・タヒチ」や「テ・マエヴァ」といったグループをつくり、ダンスコンクールで競うようになり、ダンスは7月のお祭りには欠かせないものとなっていきました。



1984年、フレンチポリネシアで自治統治が始まるとともに、7月のお祭りは「ヘイヴァ・イ・タヒチ」と定められ、そこでのタヒチアンダンスが本格的に復興し、今に受け継がれています。

Heiva前はタヒチの夕刻はあちこちで太鼓、トエレの音が響き、練習は毎晩3時間くらい続いて踊り楽しんでいます。




毎年6月から7月の間にHeiva I Tahitiというタヒチ最大のお祭りが開催されていて、ダンスコンテストやカヌーレースなど、島中がお祭りムードで盛り上がっています。

彼らの生き生きとした姿にポリネシアの先祖たちは拍手で応援していることでしょう。


  

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2014年06月17日

タヒチの歴史・文明 15

タヒチの神話(ヒナの話)

昔、島にはヒナという大変美しい女王がいました。

ある日、ヒナは静かな森の川辺で水浴びをしていましたが、その川には恐ろしい巨大なウナギの魔物が棲んでいました。
大ウナギはヒナを一目見るなり恋をしてしまい、自分の妻にしようとさらって行ってしまいました。

それを聞いた島の勇者は、ヒナの救出へと向かいました。

大ウナギとの戦いは熾烈を極めましたが、とうとう勇者は大ウナギの首を切り落としました。
草の上に落ちた大ウナギの首は、ヒナを見つめると弱々しい声で「今はお前は私のことを嫌っているが、やがて私を愛し、毎日口づけするようになるだろう。」と告げると息絶えました。

無事ヒナを助け出した勇者は、戦利品としてウナギの首を籠に入れると、ヒナと共に村へ帰ることにしました。

途中、疲れたので大ウナギの首を草むらに置き、ひと休みすることしました。
そこで二人はついウトウトとまどろんでしまい、ふと目覚めると、大ウナギの首から見たこともない巨大な木が生えていました。
ウナギの胴のような幹には一本の枝もなく、大きな青々した葉を空高く広げ、二人の上に涼しい木陰を作っていました。
そして、やはり見たこともない大きな丸い実をたくさん付けていました。



早速その一つを取って割ってみると、中には甘くて冷たい水がたっぷり入っていました。
この実はたちまちヒナのお気に入りとなり、彼女は毎日、美味しい水を飲むたびに大ウナギの化身のその実に口づけしました。

大ウナギはココナッツの実になってしまったのですね。



今でもタヒチでは、ウナギは神様の化身として崇められているそうですよ。

  

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2014年06月07日

タヒチの歴史・文明 14



19世紀頃、フランスの宣教師団がタヒチへ入島し、官能的なタヒチアンダンスや土着の宗教、キリスト教の教えにそぐわない事柄すべてに対し禁止し、神殿のマラエを破壊しました。

プライドを奪われていったタヒチの人々は、次々とキリスト教化されていき伝統的なポリネシア文化は急激に衰退していきました。

同じくらいの時期に「トゥ」と呼ばれるポリネシア人は、タヒチ島を中心とした全島征服を開始し、1797年にポマレ王朝を打ち立て島々の大半を支配するようになりました。

代々に渡り、支配下の多くの島を統合するために奮闘していたポマレ4世もフランスの圧力に屈し、1842年にタヒチ、モーレア両島をフランスの保護領とする条約を強制され署名をしてしまいました。

そして1880年、ポマレ5世はフランスに主権を譲渡し、タヒチはフランスのオセアニアにおける初めての植民地となりました。
  

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2014年05月30日

タヒチの歴史・文明 13

タヒチの黒真珠



タヒチのお土産として人気の黒真珠。
サイズも大きく色も様々あり、ブラック、緑がかったピーコック、シルバーなどなどとっても豪華です。
特に「タヒチアンブラックパール」と呼ばれるピーコックカラーは、希少価値が高く全体の3%しか採取されないそうです。

黒蝶貝の棲息する条件は海が汚染されていない南洋の人里離れた潮通しのよい珊瑚環礁の内海域、タヒチを中心としたフレンチポリネシアで採取されています。

特にタヒチで全世界の生産量の約95%が採れます。
日本では戦前から沖縄で養殖されています。

1700年代後半、ヨーロッパの国々はポリネシアや太平洋の島々への航海を成功させました。
これによって新種の動物や植物、大きな黒い真珠がヨーロッパに紹介されました。

これらの真珠は瞬く間にヨーロッパの王族に人気となりました。

今では女性の宝石ワードローブにぜひ加えたい憧れの宝石となっています。

大人の女性の豪華さがある黒真珠。
私もいつか手に入れたいジュエリーの一つです。




  

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2014年04月29日

タヒチの歴史・文明 12

タヒチの神話(マウイの星座)


ポリネシアで「マウイの星座」と呼ばれるさそり座のお話です。



マウイは時間と空間を司る神として崇められてきました。

マウイは釣針を使ってポリネシアの島々を釣りあげましたが、島がどれも小さかったため、兄弟神に船を漕いでもらい、巨大魚ピモエを釣ることを決意しました。

ピモエはその姿を島に変えることが出来る魚なので、ピモエを釣り上げて小さな島々と繋げ、1つの大きな大陸を作ろうとしたのです。

兄弟神は海の一番深い場所に船を進め、マウイはピモエに釣針をかけました。
マウイと暴れるピモエの戦いは2日2晩続き、ようやくピモエはおとなしくなりました。



ピモエを釣針にかけたまま帰る途中、マウイは兄弟神にピモエを見ないように言いましたが、兄弟神がピモエを見た瞬間、ピモエは固まって島になりました。

そして釣針はピモエから外れて天高くに飛ばされ、釣針の形に似たさそり座になったと言われています。

島々が大陸になることはありませんでしたが、マウイという名前はハワイ諸島にその名を留めています。

  

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2014年04月14日

タヒチの歴史・文明 11

タヒチの神話(マウイの話)

昔々、空はずっと地面に近く人々は身を屈めて生活しなくてはいけませんでした。
間近で今よりももっと暑い太陽がギラギラと照りつけるので、強烈な暑さで作物は育ちません。
おまけに太陽は、あっという間に沈んでしまうので、すぐ暗くなってしまい昼間の仕事が全く出来ませんでした。

その様子を見たマウイは 、なんとか太陽の速度をもっと遅く出来ないものかと考えました。

まず彼は太陽を捕まえようと岩陰に身を隠し日が昇ると共に素早く縄を掛けました。
しかし、太陽の力は強く縄を引きちぎって逃げてしまいました。
困ったマウイは月の女神ヒナに相談してみました。
ヒナはそれでは自分の髪の毛を使ってみなさいと髪の毛で編んだ綱をあげました。

今度は大成功でした!!

マウイは太陽を地面に引きずり降ろし、固い木で作った棍棒でメッタ打ちに打ちのめし、弱ったところを見計らって空に戻すと、更に空を高く持ち上げました。

そのとたん、空と地の間に涼しい風が吹き込み、作物も育つ過ごしやすい世界になりました。
弱った太陽も高い天空をノロノロ動くうえ、日差しも弱くなったので、人々はのんびりと明るい内に仕事が出来るようになりました。



  

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2014年04月13日

タヒチの歴史・文明 10

19世紀頃、キリスト教宣教師たちは官能的なダンスを禁じるようになりました。
それ以降、約60年近くにわたって、公でタヒチアンダンスを踊ることは制限されていたそうです。

そんな中でも、タヒチの人々は密かにダンスの伝統を守り続けていたと言われています。



1895年、『オリラア・タヒチ』という名称で、タヒチアンダンスがフランス革命の記念イベントの一部として認められるようになりました。

しかし、女性は肌を見せない長いドレスを着て、男性は長袖に長ズボンをはくなどの規制もあり、タパやモレなどの伝統衣裳を身につけて踊れるようになったのは20世紀に入ってからのことだそうです。  

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2014年04月08日

タヒチの歴史・文明 9

タヒチの神話(ヒロの話)

タヒチには様々な神がいて、ヒロはその中の一人です。
人間に近い神様だったようで、『盗人の神』と言われています。

モーレア島の美しさに心を奪われたヒロが、島を盗もうと槍を投げたところ、刺さらずに通り抜けてしまったので穴が開いたという伝説があります。




またヒロは、ある時はボラボラの南の端にあるトゥープア島にやってきました。
また盗みを働くために…

ヒロは、先ず手始めにトゥープア島を盗んでやろうと、彼の愛鳥の雄鶏と一緒に島を掴んで大きなカタマリを切り、引きずって持ち去ろうとしました。
しかし、この時雄鶏と一緒だったのは間違いでした。
彼の盗みに対する不思議な力や大きなものを動かす能力は急速に衰え、日没から日の出までの間しか盗むための能力は使えなくなってしまいした。
ヒロは大いに怒り狂って、大切にしていたはずの雄鶏を殴りつけて、すさまじい勢いでパヒア山に打ちつけました。

この跡は、今でも見ることができるそうです。

夜の間しか力を使えなくなったヒロは落ちぶれて、ついには大切なカヌーさえ海に沈めてしまいました…

それ以来、ヒロが盗もうとして引きちぎった島は、トゥープアイティと呼ばれるようになりました。
そして、トゥープア島とトゥープアイティの間に沈んでいる平行な大岩は、「ヒロの(双胴)カヌー」と呼ばれています。

またトゥープア島の奥には、叩くと鐘のような音のする岩があり、これは「ヒロのベル」と呼ばれているそうです。


かつてヒロと彼の息子マラマは、「ティモラッア」というポリネシアに伝わるゲームでよく遊んだという伝説もあります。

「ティモラッア」とは、積み上げた石から1つを放り投げ、ココナッツの籠にその石を集めるゲームで、早く石を集めた方が勝ちとなります。

ヒロもマラマも力溢れる巨人です。
大きな石を次から次へと放り投げていました。
しかし若いマラマの方が早く最後の石に手をかけていました。
怒ったヒロは、マラマの持っている石を蹴り飛ばし、石はなくなってしまいました。

マラマは、それ以来ヒロと「ティモラッア」をしなくなりました。
しかし、この時に2人が放り投げた石は、そこら中に散らばっていて、今でもそのあたりは、「ヒロのティモラッア場」と呼ばれています。
  

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2014年04月03日

タヒチの歴史・文明 8

ティキ : 神様

タヒチではあらゆるところで目にするティキ(神)像。



ティキをかたどった木彫りは、神話で語り継がれている創造主の長男を模したものという説、初めて誕生した人間をかたどり、繁栄と平和の象徴として作られたものという説、土地を守るために捧げられた生け贄の人間の代わりに作られたものという説、霊媒師に力を与える役割を持つという説…などなど、ティキにまつわる伝説は地域によってさまざまで形も多種多様です。

紀元1400年から1450年ごろ、最初の石のティキが作られました。



顔には大きく丸い目があり、マオヒの神が表現されています。



ポリネシアの神話では、それぞれ特定の機能を持っていた多くの神がいました。
その神達は、動物、植物、あるいは鉱物を表現していました。



ポリネシアンは、神との繋がりを日常から強く感じていたんですね。
  

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2014年03月08日

タヒチ語【LOVE】


カップルやハネムーナーに人気のタヒチの愛についての言葉の紹介です❤️

'ua pohe i te here(ウア ポヘ イ テ ヘレ)
恋におちる

to'u hoa here (トッウ ホア ヘレ)
恋人

'Ua here au ia 'oe.(ウア ヘレ アウ イア オエ)
あなたを愛しています

E fa'aipoipo taua(エ ファッアイポイポ タウア)
結婚しましょう


こんなロケーションでプロポーズされてみたいですね❤️
  

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2014年03月05日

タヒチの歴史・文明 7


バウンティ号の反乱後から、地域全体には商人や流れ者なども立ち寄るようになり、武器や売春、島民に免疫のない伝染病などにより人口は激減しました。

そして19世紀に入って、キリスト教宣教師たちが彼らの規律に反する官能的なダンスを禁じるようになりました。

それ以降、約60年近くにわたって、公でタヒチアンダンスを踊ることは制限される時代が続きました。

そんな中でも、タヒチの人々は密かにダンスの伝統を守り続けていたそうです。

3月5日 イギリス宣教師団上陸記念日

タヒチにキリスト教が伝わった日を記念した祝日です。
タヒチ島ビーナス岬にあるプロテスタント上陸記念碑の周辺で式典が行なわれるほか、プロテスタント教会でイベントが開催されます。
南の島らしく、地元の人々は家族や友人を集めてバーベキューパーティを開催したり、お気に入りのビーチで海水浴を楽しんだりと、のんびりとした休日を楽しみます。



  

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2014年02月26日

タヒチの歴史・文明 6

タヒチの信仰

すべてのポリネシア人の本質的な1つの共通点は、神聖な地で大きな祝宴が行われていたということ。
神の力と通信するこの重大な儀式は、 神格 を備えた特別な信仰によって行われていました。

信仰はタフア(司祭長)と呼ばれる人々と神の間の媒介人によって様々な儀式が行われていたそうです。



儀式を行う祭壇をマラエと呼び、人々はここで神を崇拝し、祈りをささげました。
マラエに集まって祈り、神を賞賛し、収穫の前、誕生、戦いの神オロに捧げる踊りなど、様々なダンスをしていたのでした。

現代、この信仰は消えましたが、数々のマラエは今でも静かに立っています。
ポリネシアンダンスが生まれた場所、最初の多音の歌が聞かれた場所です。

今で言う、集会場や公民館のようなコミュニティ性がある場所だったんでしょうね。
古代のタヒチ人は、神様をとても近くに感じていて、事あるごとにマラエに集まっていたんですね。





  

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2014年02月21日

タヒチの歴史・文明 5

バウンティ号の反乱のお話。



バウンティ号はイギリスの船で、タヒチ島からパンノキや植物を西インド諸島に運ぶ任務の小型の船舶でした。

タヒチから出港した直後、船内では反乱が起こり、バウンティ号は再びタヒチへ…

反乱の原因は諸説ありはっきりしていませんが、パンノキ輸送のために船員の居住空間が犠牲にされたので、航海中の生活環境は劣悪だったそうです。

数ヶ月の間、船員達はタヒチ島では快適な暮らしを送ったり、タヒチの娘と恋に落ちたりしたため、不満が起こり易かったことも原因の1つと考えられています。

その後、反乱者の船員達はタヒチの女性と結婚し、家族を持ったそうです。

この反乱は話題になり、その後多くの映画や文学作品にも取り上げられているので、機会があれば見てみたいですね。

バウンティ/愛と反乱の航海
(メルギブソン主演)









  

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